
青森県立美術館で好評開催中の展覧会「描く人、安彦良和」の関連プログラム「安彦良和×庵野秀明トークショー付き上映会」が、5月24日(土)に開催された。
イベントでは、『機動戦士ガンダム』劇場版三部作の上映に加え、安彦良和さんと庵野秀明さんのトークショーも実施。
安彦さんが語る『機動戦士ガンダム』制作当時の思い出から、『機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙 編』の見どころなど、貴重なトークの数々が展開された。
それでは早速、トークショーの模様をレポートしていこう。
イベントでは、『機動戦士ガンダム』劇場版三部作の上映に加え、安彦良和さんと庵野秀明さんのトークショーも実施。
安彦さんが語る『機動戦士ガンダム』制作当時の思い出から、『機動戦士ガンダムIII めぐりあい
それでは早速、トークショーの模様をレポートしていこう。
安彦良和×庵野秀明トークショー レポート
大きな拍手に迎えられて、安彦良和さん、庵野秀明さんが登場。まず司会者より「描く人、安彦良和」の感想を尋ねられた庵野さんは「すごい仕事量ですよね。まずそれに驚かされました。すごいです……。ほんと褒める言葉しか出てこないです。まあ今日は褒めに来たので(笑)」と、感動を語った。
最初のトークテーマは、二人の関係について。初対面の際に安彦さんは、庵野さんがアニメーターの板野一郎さんの弟子だと聞き「じゃあ、あなたはぼくの孫弟子なの!?」と非常に驚いたという。また「庵野秀明は僕にアニメを辞めようと思わせた張本人で、『こんなすごい人が出てくるなら、俺はアニメ業界にいない方がいいな』と思ったんです。まさかそれが孫弟子とは思わなかった(笑)」と語る。
対して庵野さんは「(自らがアニメ業界を志したのは)元々は劇場版『機動戦士ガンダム』が公開された時に発売された書籍の安彦さんの原画を見て『アニメーターになろう』と思ったのがきっかけでした。そういう意味では、僕にとって安彦さんはアニメをやらせた張本人なんです」とお互いに与えた影響を語った。
最初のトークテーマは、二人の関係について。初対面の際に安彦さんは、庵野さんがアニメーターの板野一郎さんの弟子だと聞き「じゃあ、あなたはぼくの孫弟子なの!?」と非常に驚いたという。また「庵野秀明は僕にアニメを辞めようと思わせた張本人で、『こんなすごい人が出てくるなら、俺はアニメ業界にいない方がいいな』と思ったんです。まさかそれが孫弟子とは思わなかった(笑)」と語る。
対して庵野さんは「(自らがアニメ業界を志したのは)元々は劇場版『機動戦士ガンダム』が公開された時に発売された書籍の安彦さんの原画を見て『アニメーターになろう』と思ったのがきっかけでした。そういう意味では、僕にとって安彦さんはアニメをやらせた張本人なんです」とお互いに与えた影響を語った。

また、安彦さんは昨年名古屋で実施された「どまんなかアニメ映画祭」に登壇した際、同じく名古屋で開催されていた「庵野秀明展」に足を運んだという。安彦さんは「非常に圧倒されたのは、物量もさることながら、庵野秀明のベーシックな部分についてでした。学生時代に8ミリ映画撮って、自分がビームに撃たれて倒れる、みたいな学生時代ならではのちょっとバカっぽい映像なんかも展示されていて。その単純さに驚きました」と語ると、庵野さんも「はい(笑)。ただの子どもですよね」とうなずく。
安彦さんは、そんな庵野さんの純粋な部分に非常に劣等感を感じたとのことで、「僕の場合はそういうベーシックなものがほとんど無いんですよ。なぜアニメーターになったかというと、食べるためになった。1970年に弘前から東京に出て、何をやって生きていったら良いかわからない。そういう状態で虫プロダクションに拾われたんですよね。北海道の田舎出身で、東京オリンピックの時に初めてテレビが入ったような世代なので、当然アニメは見てなくて。虫プロに入る前にアニメを見たのは、学生時代に先生が街の映画館に連れて行って見せてくれたのと、下宿先のテレビで流れていて、『うるさいなぁ』と思っていた2本しかない。虫プロの面接でアニメについて聞かれたときは、『昔見た「白蛇伝」は素晴らしかった。今テレビでやっているらしいものは、どうも作りが雑で酷いのではないだろうか」なんて生意気なことをいいました(笑)」「アニメについてはもちろん、映像文化とか特撮など、いわゆるサブカルチャーに対する知識も非常に乏しかったんです。同期が『「ジャングル大帝」のレオが描けたらお金いりません』みたいなことを言うのが、当時は本当に理解できなかった。でもその後仕事をしていくと、自分のベーシックな部分の乏しさも結構感じることになりました。あなた(庵野さん)のいわゆるバカをやった経験、遊びの部分が無いなって。だから庵野くんのそれは財産だと思います」と、お互いの展覧会から青年時代を振り返った。
庵野さんは「僕の少年時代の経験は全然大したことはないです。当時の子どもはほとんど同じものを見てましたから、その中では好き度合いが高かったに過ぎないです。でも、『宇宙戦艦ヤマト』を見ていなかったら、漫画とかアニメも卒業していましたし、この仕事はしていなかったと思います。『ヤマト』が終わったあとも、やっぱり大学を卒業して公務員とかにならないと田舎ではなかなか厳しい時代だったので、(自分も)そうなるのかなと思っていた矢先に、アニメに引き戻されたのが『機動戦士ガンダム』でした。浪人時代に、やっぱりアニメは面白いからこれにこだわってても良いんだって思えました」と振り返る。さらに「それこそ(アニメに引き戻したのは)安彦さんの原画の絵です。だから安彦さんのせいですよ、こんなになっちゃったのは(笑)。責任とってください」と冗談交じりに語ると、安彦さんも思わず「どうやってとればいいんだよ(笑)」とツッコみ、会場の笑いを誘った。
安彦さんは、そんな庵野さんの純粋な部分に非常に劣等感を感じたとのことで、「僕の場合はそういうベーシックなものがほとんど無いんですよ。なぜアニメーターになったかというと、食べるためになった。1970年に弘前から東京に出て、何をやって生きていったら良いかわからない。そういう状態で虫プロダクションに拾われたんですよね。北海道の田舎出身で、東京オリンピックの時に初めてテレビが入ったような世代なので、当然アニメは見てなくて。虫プロに入る前にアニメを見たのは、学生時代に先生が街の映画館に連れて行って見せてくれたのと、下宿先のテレビで流れていて、『うるさいなぁ』と思っていた2本しかない。虫プロの面接でアニメについて聞かれたときは、『昔見た「白蛇伝」は素晴らしかった。今テレビでやっているらしいものは、どうも作りが雑で酷いのではないだろうか」なんて生意気なことをいいました(笑)」「アニメについてはもちろん、映像文化とか特撮など、いわゆるサブカルチャーに対する知識も非常に乏しかったんです。同期が『「ジャングル大帝」のレオが描けたらお金いりません』みたいなことを言うのが、当時は本当に理解できなかった。でもその後仕事をしていくと、自分のベーシックな部分の乏しさも結構感じることになりました。あなた(庵野さん)のいわゆるバカをやった経験、遊びの部分が無いなって。だから庵野くんのそれは財産だと思います」と、お互いの展覧会から青年時代を振り返った。
庵野さんは「僕の少年時代の経験は全然大したことはないです。当時の子どもはほとんど同じものを見てましたから、その中では好き度合いが高かったに過ぎないです。でも、『宇宙戦艦ヤマト』を見ていなかったら、漫画とかアニメも卒業していましたし、この仕事はしていなかったと思います。『ヤマト』が終わったあとも、やっぱり大学を卒業して公務員とかにならないと田舎ではなかなか厳しい時代だったので、(自分も)そうなるのかなと思っていた矢先に、アニメに引き戻されたのが『機動戦士ガンダム』でした。浪人時代に、やっぱりアニメは面白いからこれにこだわってても良いんだって思えました」と振り返る。さらに「それこそ(アニメに引き戻したのは)安彦さんの原画の絵です。だから安彦さんのせいですよ、こんなになっちゃったのは(笑)。責任とってください」と冗談交じりに語ると、安彦さんも思わず「どうやってとればいいんだよ(笑)」とツッコみ、会場の笑いを誘った。

続けて話題はビデオデッキの登場について。
安彦さんが「あの頃ホームビデオが出てきたでしょ?あれがやっぱり画期的だったよね?」と振ると、庵野さんも「画期的でしたね。アニメーションをコマ送りで見られるっていう。それまで8ミリフィルムでテレビを撮影して見返してましたから」と、その衝撃を振り返る。
また安彦さんは「虫プロの同僚だった川尻善昭が『あしたのジョー』のある話数で、『この次の金山さんのカット、お化けが入るんだよ』って言うんですね。“お化け”っていうのは要するに極端にデフォルメした絵が入ることなんだけど、わざとそういうデフォルメした絵を入れて速い動きをつなげてる。見たってわかるわけないんだけど、そういう“秘伝の技”みたいなのが奥深いな~と思わせてくれる時代でした。でもコマ送りで見られるようになると、そういう技もなくなって(一般化されて)いってしまうんですよね」と語る。庵野さんも「流れコマの表現で、人物がいるとその後に残像も描く。それを“お化け”って言うんです。そういう技術がすぐに真似できるようになりました。ここが1コマでここは2コマなんだ、みたいなのがすぐわかりますよね」と、ビデオデッキがもたらした変化に同意する。続けて安彦さんは「だから悔しかったのは『素人の人もこれを見て真似してくるんだ』ということでした。その中に庵野くんも居た、ってことなんだけど(笑)」と話すと、庵野さんも「僕もファーストガンダム(『機動戦士ガンダム』)は電気屋さんに『ビデオテープを買うから録らせてくれ』って頼み込んで、電気屋さんでコマ送りを見てました。『もうそろそろ帰ってくれ』って言われるまでやってましたね」と当時のエピソードを披露した。
安彦さんが「あの頃ホームビデオが出てきたでしょ?あれがやっぱり画期的だったよね?」と振ると、庵野さんも「画期的でしたね。アニメーションをコマ送りで見られるっていう。それまで8ミリフィルムでテレビを撮影して見返してましたから」と、その衝撃を振り返る。
また安彦さんは「虫プロの同僚だった川尻善昭が『あしたのジョー』のある話数で、『この次の金山さんのカット、お化けが入るんだよ』って言うんですね。“お化け”っていうのは要するに極端にデフォルメした絵が入ることなんだけど、わざとそういうデフォルメした絵を入れて速い動きをつなげてる。見たってわかるわけないんだけど、そういう“秘伝の技”みたいなのが奥深いな~と思わせてくれる時代でした。でもコマ送りで見られるようになると、そういう技もなくなって(一般化されて)いってしまうんですよね」と語る。庵野さんも「流れコマの表現で、人物がいるとその後に残像も描く。それを“お化け”って言うんです。そういう技術がすぐに真似できるようになりました。ここが1コマでここは2コマなんだ、みたいなのがすぐわかりますよね」と、ビデオデッキがもたらした変化に同意する。続けて安彦さんは「だから悔しかったのは『素人の人もこれを見て真似してくるんだ』ということでした。その中に庵野くんも居た、ってことなんだけど(笑)」と話すと、庵野さんも「僕もファーストガンダム(『機動戦士ガンダム』)は電気屋さんに『ビデオテープを買うから録らせてくれ』って頼み込んで、電気屋さんでコマ送りを見てました。『もうそろそろ帰ってくれ』って言われるまでやってましたね」と当時のエピソードを披露した。
また庵野さんは、コマ送りで見た『機動戦士ガンダム』から安彦さんのエフェクトの描き方を学んだという。「僕のエフェクトの基本には、安彦さんも入ってます。ガンダムの頭部バルカンのエフェクトとか、オープニングのガンタンクのエフェクトとかが、僕の基本になってますね。爆発は友永(和秀)さんが入っていますが、銃口のエフェクトは安彦さんが入っています。上手ですよね。すごいですよ」と語ると、「えぇ?(笑)。エフェクトはね、虫プロは遅れていたんですよ。ひどいものでした(笑)」と驚いた様子。
当時のエフェクト事情について「川尻(善昭)が『ムーミン』をやっているときに、なぜか爆発のカットがあって、それの担当になった川尻がとても喜んでいました。隣で『見て見て!』って言うんだけど、興味ないから『良いいんじゃない?』とか返してたんだけど(笑)。『ムーミン』に限らず、虫プロがやる作品は爆発なんてほぼ出てこないんですよね。だから爆発って縁遠いものでした。その後サンライズの『ゼロテスター』で爆発が出てくるんだけど、その時には“背景爆発”っていう非常にせこい手でやりました。2枚、3枚の(背景の)置き換えでできるんだけど、『これは便利だ』っていうんで、サンライズのロボットものは『ピカッと光らせてあとは置き換え!』っていう風にやってました」と振り返る。
さらに「そしたらある日、(背景爆発をやるには)最低2枚なきゃいけなのに『1枚しかないぞ、1枚どこやった?』って。そしたらもう1枚が床に落ちてて、誰かが踏んづけちゃってた(笑)。『だめじゃないか!爆発踏んづけちゃ』なんて言うのが日常でね。そういうことをやっているからエフェクトについては非常に遅れていました。だから『機動戦士ガンダム』の第1話のときは、これじゃだめだってことで自分なりで研究したんです。それが先程挙げていただいたシーンですね」と、庵野さんが学んだというエフェクトの意外な誕生秘話を明かす。
当時のエフェクト事情について「川尻(善昭)が『ムーミン』をやっているときに、なぜか爆発のカットがあって、それの担当になった川尻がとても喜んでいました。隣で『見て見て!』って言うんだけど、興味ないから『良いいんじゃない?』とか返してたんだけど(笑)。『ムーミン』に限らず、虫プロがやる作品は爆発なんてほぼ出てこないんですよね。だから爆発って縁遠いものでした。その後サンライズの『ゼロテスター』で爆発が出てくるんだけど、その時には“背景爆発”っていう非常にせこい手でやりました。2枚、3枚の(背景の)置き換えでできるんだけど、『これは便利だ』っていうんで、サンライズのロボットものは『ピカッと光らせてあとは置き換え!』っていう風にやってました」と振り返る。
さらに「そしたらある日、(背景爆発をやるには)最低2枚なきゃいけなのに『1枚しかないぞ、1枚どこやった?』って。そしたらもう1枚が床に落ちてて、誰かが踏んづけちゃってた(笑)。『だめじゃないか!爆発踏んづけちゃ』なんて言うのが日常でね。そういうことをやっているからエフェクトについては非常に遅れていました。だから『機動戦士ガンダム』の第1話のときは、これじゃだめだってことで自分なりで研究したんです。それが先程挙げていただいたシーンですね」と、庵野さんが学んだというエフェクトの意外な誕生秘話を明かす。

また、庵野さんは「『機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙 編』の爆発は最高峰だとおもいます。僕の中ではこれを超えるものはないです。板野(一郎)さんも手伝ってますけど、元は安彦さんがフォルムを描いていて。安彦さんの爆発のフォルムは適当なんです。1枚目と2枚目で『なんでこれつながるんだろう』って思うようなものなんだけど、そこを無視しているのがすごいリアルなんです。それがまた感性で描く板野さんにも合っていて、爆発に関しては『ガンダムIII』はお二人の最高傑作だと思います。素晴らしいです」と絶賛した。
『機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙編』の見どころについて、庵野さんは「当時の最高傑作だったと思います。安彦さんがあれだけ手を入れられているので、僕も最初の特報を見たときにすごく衝撃を受けました。絵がすごい、こんなに綺麗になっている!って」と当時の感動を振り返る。安彦さんは『機動戦士ガンダム』劇場版三部作について「結構知られている話だと思うんだけど、僕が入院してそこに毎週富野由悠季(監督)が見舞いに来てくれて、 逐一状況を教えてくれました。『映画でやれるよ』っていうのを彼から教えてもらって。『直しが入れられるよ』とも言ってもらって、もう本当にありがたいと思いました。(TV版は)途中で僕がダウンしているので、心残りだろうっていうのを考えてくれたと思っています。ただし時間が限られているので、1本目と2本目はそんなに入れられない。だから僕がダウンした3本目に集中しようということになりました。そしたら、1本目公開後に雑誌に掲載された富野さんとセイラ役の井上 瑤さんの対談で、井上さんに『直すと言ったけどテレビのまんまじゃない!』と怒られたりもしたんだけどね(笑)。確かにあんまり変わらないんだけど、劇場版は2号影が入っていたり、爆発も2コマになっていたり、透過光まで入っていて『綺麗だな~』と自分でも思いました。普段どれだけ貧しい環境でやってるんだっていうのが分かってもらえると思います(笑)」とアピールすると、庵野さんも「ガンダムに2号影っていうのは衝撃でしたね(笑)。1本目、2本目にも入っていますけど、3本目の量にはもうびっくりです」と深く賛同していた。
劇場版で追加された“影”について、安彦さんは「昔の愚痴になっちゃうんだけど、ガンダムに影をつけるとなると、仕上げのプロダクションの社長と交渉する必要がありました。影をつけるためには、ここが影線でこっちが影色でってわかるようにトレス線を入れなきゃいけないんだけど、それがとても大変ということで(仕上げのプロダクションに)断られていました。ただ、メカのように面を区切る線がある場合に『こっちは常に明るい色。こっちは常に影色』みたいに影をつける“面カゲ”であれば許してもらえて。でも本当だったら光に向かって動けば、面カゲも当然変化があるんだけども、『それはダメ。どっちを向いていようが、影は影』という形になりました。それがTV版を制作していた時の現実だったんですね。だから劇場版で2号影がついたときに、動いても影がちゃんとついてきていることにとても感動しました。『影があるっていいな~』としみじみ思いました」と語る。庵野さんも「影は嬉しいですよね。今はセル画じゃないので中々ないですけど、昔は色指定の人が2号影とか1号影の部分は、バツつけて『影ナシ』って修正されていましたから(笑)。アニメーターからしたら、一生懸命影をつけたのに、セルを見たら全部無い、みたいな。そういう時代でしたね(笑)」と当時の制作事情を振り返った。
安彦さんは「『ガンダムIII』では、50年弱前の時代の悪戦苦闘、色々な意味でもがきながら何かを表現しようとしていたんだっていうことを、若い人には特に味わって欲しいと思います」とメッセージを送った。
最後に二人は会場へ駆けつけたファンへの感謝を伝え、トークショーを締めくくった。
庵野「今日は本当にどうもありがとうございます。これ以上言うことはありません」
安彦「今日はありがとうございました。満足していただけたかわかりませんが、こんな話を聞くために遠路はるばる来てくれた人は青森の美味しいお酒でヤケ酒でもして、無事帰って下さい(笑)」
『機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙編』の見どころについて、庵野さんは「当時の最高傑作だったと思います。安彦さんがあれだけ手を入れられているので、僕も最初の特報を見たときにすごく衝撃を受けました。絵がすごい、こんなに綺麗になっている!って」と当時の感動を振り返る。安彦さんは『機動戦士ガンダム』劇場版三部作について「結構知られている話だと思うんだけど、僕が入院してそこに毎週富野由悠季(監督)が見舞いに来てくれて、 逐一状況を教えてくれました。『映画でやれるよ』っていうのを彼から教えてもらって。『直しが入れられるよ』とも言ってもらって、もう本当にありがたいと思いました。(TV版は)途中で僕がダウンしているので、心残りだろうっていうのを考えてくれたと思っています。ただし時間が限られているので、1本目と2本目はそんなに入れられない。だから僕がダウンした3本目に集中しようということになりました。そしたら、1本目公開後に雑誌に掲載された富野さんとセイラ役の井上 瑤さんの対談で、井上さんに『直すと言ったけどテレビのまんまじゃない!』と怒られたりもしたんだけどね(笑)。確かにあんまり変わらないんだけど、劇場版は2号影が入っていたり、爆発も2コマになっていたり、透過光まで入っていて『綺麗だな~』と自分でも思いました。普段どれだけ貧しい環境でやってるんだっていうのが分かってもらえると思います(笑)」とアピールすると、庵野さんも「ガンダムに2号影っていうのは衝撃でしたね(笑)。1本目、2本目にも入っていますけど、3本目の量にはもうびっくりです」と深く賛同していた。
劇場版で追加された“影”について、安彦さんは「昔の愚痴になっちゃうんだけど、ガンダムに影をつけるとなると、仕上げのプロダクションの社長と交渉する必要がありました。影をつけるためには、ここが影線でこっちが影色でってわかるようにトレス線を入れなきゃいけないんだけど、それがとても大変ということで(仕上げのプロダクションに)断られていました。ただ、メカのように面を区切る線がある場合に『こっちは常に明るい色。こっちは常に影色』みたいに影をつける“面カゲ”であれば許してもらえて。でも本当だったら光に向かって動けば、面カゲも当然変化があるんだけども、『それはダメ。どっちを向いていようが、影は影』という形になりました。それがTV版を制作していた時の現実だったんですね。だから劇場版で2号影がついたときに、動いても影がちゃんとついてきていることにとても感動しました。『影があるっていいな~』としみじみ思いました」と語る。庵野さんも「影は嬉しいですよね。今はセル画じゃないので中々ないですけど、昔は色指定の人が2号影とか1号影の部分は、バツつけて『影ナシ』って修正されていましたから(笑)。アニメーターからしたら、一生懸命影をつけたのに、セルを見たら全部無い、みたいな。そういう時代でしたね(笑)」と当時の制作事情を振り返った。
安彦さんは「『ガンダムIII』では、50年弱前の時代の悪戦苦闘、色々な意味でもがきながら何かを表現しようとしていたんだっていうことを、若い人には特に味わって欲しいと思います」とメッセージを送った。
最後に二人は会場へ駆けつけたファンへの感謝を伝え、トークショーを締めくくった。
庵野「今日は本当にどうもありがとうございます。これ以上言うことはありません」
安彦「今日はありがとうございました。満足していただけたかわかりませんが、こんな話を聞くために遠路はるばる来てくれた人は青森の美味しいお酒でヤケ酒でもして、無事帰って下さい(笑)」
「描く人、安彦良和」青森会場は、6月29日(日)まで青森県立美術館にて好評開催中。7月12日(土)からは北海道・苫小牧市美術博物館で、9月13日(土)からは同じく北海道の釧路市立美術館での開催も決まっているので、ぜひ足を運んでみよう。
詳細は「描く人、安彦良和」公式サイトをご覧ください。
詳細は「描く人、安彦良和」公式サイトをご覧ください。
(ガンダムインフォ編集部)
「描く人、安彦良和」青森会場 特別上映会+トークショーII
開催日:2025年5月24日(土)
会場:青森県立美術館シアター
出演者:安彦良和、庵野秀明(監督・プロデューサー)
開催日:2025年5月24日(土)
会場:青森県立美術館シアター
出演者:安彦良和、庵野秀明(監督・プロデューサー)
「描く人、安彦良和」青森会場 開催概要
【会期】
2025年4月19日(土)~6月29日(日)
休館日:6月23日(月)
【開催時間】
9:30~17:00(展示室への入場は16:30まで)
【会場】
青森県立美術館
(青森市安田字近野185)
【観覧料金】
一般:1,700(1,500)円
大学生:1,000(800)円
18歳以下および高校生無料
※( )は20名以上の団体料金
※心身に障がいのある方と付添者1名は無料
※前売券、Webチケット等の販売はございません。
割引セット券(安彦良和展+コレクション展2025-1)
一般:2,000円
大学生:1,100円
18歳以下および高校生無料
※セット券に団体割引はございません。また、他の割引との併用はできません。
2025年4月19日(土)~6月29日(日)
休館日:6月23日(月)
【開催時間】
9:30~17:00(展示室への入場は16:30まで)
【会場】
青森県立美術館
(青森市安田字近野185)
【観覧料金】
一般:1,700(1,500)円
大学生:1,000(800)円
18歳以下および高校生無料
※( )は20名以上の団体料金
※心身に障がいのある方と付添者1名は無料
※前売券、Webチケット等の販売はございません。
割引セット券(安彦良和展+コレクション展2025-1)
一般:2,000円
大学生:1,100円
18歳以下および高校生無料
※セット券に団体割引はございません。また、他の割引との併用はできません。
展覧会詳細
安彦良和 略歴
1947年、北海道遠軽町に開拓民の3世として生まれる。1966年に弘前大学入学、学生運動に参加したことから退学となり上京。1979年『機動戦士ガンダム』でキャラクターデザインとアニメーションディレクターを担当。1983年に映画『クラッシャージョウ』で初監督。テレビアニメでは1983年放送の『巨神ゴーグ』で原作、監督を務める。一方、1979 年には「アリオン」で漫画家としてデビュー。1989年以降は漫画に専念し「ナムジ‐大國主‐」「虹色のトロツキー」「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」などを発表。「乾と巽‐ザバイカル戦記‐」が昨年5月で完結した。
1990年 第19回日本漫画家協会賞優秀賞(「ナムジ‐大國主‐」)
2000年 第4回文化庁メディア芸術祭マンガ部門 優秀賞(「王道の狗」)
2012年 第43回星雲賞コミック部門(「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」)
2021年 第44回日本アカデミー賞協会特別賞
2022年 令和4年度文化庁映画賞(映画功労部門)
2024年 第7回井上靖記念文化賞特別賞
1947年、北海道遠軽町に開拓民の3世として生まれる。1966年に弘前大学入学、学生運動に参加したことから退学となり上京。1979年『機動戦士ガンダム』でキャラクターデザインとアニメーションディレクターを担当。1983年に映画『クラッシャージョウ』で初監督。テレビアニメでは1983年放送の『巨神ゴーグ』で原作、監督を務める。一方、1979 年には「アリオン」で漫画家としてデビュー。1989年以降は漫画に専念し「ナムジ‐大國主‐」「虹色のトロツキー」「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」などを発表。「乾と巽‐ザバイカル戦記‐」が昨年5月で完結した。
1990年 第19回日本漫画家協会賞優秀賞(「ナムジ‐大國主‐」)
2000年 第4回文化庁メディア芸術祭マンガ部門 優秀賞(「王道の狗」)
2012年 第43回星雲賞コミック部門(「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」)
2021年 第44回日本アカデミー賞協会特別賞
2022年 令和4年度文化庁映画賞(映画功労部門)
2024年 第7回井上靖記念文化賞特別賞
■本展の見どころ
・幼少期から現在に至るまでの安彦良和の創作活動の軌跡をたどることのできる、1,000点を超える資料を展示します。『機動戦士ガンダム』(劇場版)のポスターラフ案など、本展が初公開のものも多数あります。
・アニメに関する資料だけでなく、安彦良和のライフワークとも言うべき日本の古代史、近代史を取材した漫画原稿なども展示することによって、安彦良和の創作活動の全貌に迫る初の試みです。
・会場には、本展のために描き下ろされたイラストの原画も展示されます。
■展覧会構成
本展覧会は幼少期から現在に至るまでの安彦良和の制作活動を、大まかな時代とジャンルによって分類した6つの章で構成されています。
※青森会場では展示構成上の意図により6章のち1章~5章の順でご覧いただきます。
1章 北海道に生まれて
北海道遠軽町に開拓民の3世として生まれた安彦良和は、幼い頃から絵を描くのが大好きな少年でした。1966年に弘前大学に入学すると学生運動に参加し、そのことから退学となります。本章では大学時代までに描かれた様々な資料により青年期までの安彦良和の活動をたどります。
主な出品作品・資料:「遙かなるタホ河の流れ」(ノートに書いた漫画作品)、同人誌「こんみゆん」
2章 動きを描く
弘前大学を退学となった安彦良和は、生活のためアニメーション制作会社である虫プロダクションの養成所に入所し、研修生を経て、アニメーターとして活躍を始めます。漫画やイラストを自己流で描いてきた安彦良和ですが、その卓越した画力はアニメーション業界において一躍注目を集めるようになります。
本章で取り上げる主なアニメーション作品:『わんぱく大昔クムクム』(1975-76)、『宇宙戦艦ヤマト』(1974-75)、『無敵超人ザンボット3』(1977-78)
・幼少期から現在に至るまでの安彦良和の創作活動の軌跡をたどることのできる、1,000点を超える資料を展示します。『機動戦士ガンダム』(劇場版)のポスターラフ案など、本展が初公開のものも多数あります。
・アニメに関する資料だけでなく、安彦良和のライフワークとも言うべき日本の古代史、近代史を取材した漫画原稿なども展示することによって、安彦良和の創作活動の全貌に迫る初の試みです。
・会場には、本展のために描き下ろされたイラストの原画も展示されます。
■展覧会構成
本展覧会は幼少期から現在に至るまでの安彦良和の制作活動を、大まかな時代とジャンルによって分類した6つの章で構成されています。
※青森会場では展示構成上の意図により6章のち1章~5章の順でご覧いただきます。
1章 北海道に生まれて
北海道遠軽町に開拓民の3世として生まれた安彦良和は、幼い頃から絵を描くのが大好きな少年でした。1966年に弘前大学に入学すると学生運動に参加し、そのことから退学となります。本章では大学時代までに描かれた様々な資料により青年期までの安彦良和の活動をたどります。
主な出品作品・資料:「遙かなるタホ河の流れ」(ノートに書いた漫画作品)、同人誌「こんみゆん」
2章 動きを描く
弘前大学を退学となった安彦良和は、生活のためアニメーション制作会社である虫プロダクションの養成所に入所し、研修生を経て、アニメーターとして活躍を始めます。漫画やイラストを自己流で描いてきた安彦良和ですが、その卓越した画力はアニメーション業界において一躍注目を集めるようになります。
本章で取り上げる主なアニメーション作品:『わんぱく大昔クムクム』(1975-76)、『宇宙戦艦ヤマト』(1974-75)、『無敵超人ザンボット3』(1977-78)
3章 カリスマ・アニメーターの誕生
花形アニメーターとして注目を浴びる存在となった安彦良和がキャラクターデザインとアニメーションディレクターを務めた『機動戦士ガンダム』は、社会現象を巻き起こすほどの人気作品となりました。本章では、様々な資料で『機動戦士ガンダム』の制作において安彦良和が果たした役割を辿ります。
本章で取り上げる主なアニメーション作品:『機動戦士ガンダム』(1979-80)、『機動戦士Ζガンダム』(1985-1986)、『機動戦士ガンダムF91』(1991)
花形アニメーターとして注目を浴びる存在となった安彦良和がキャラクターデザインとアニメーションディレクターを務めた『機動戦士ガンダム』は、社会現象を巻き起こすほどの人気作品となりました。本章では、様々な資料で『機動戦士ガンダム』の制作において安彦良和が果たした役割を辿ります。
本章で取り上げる主なアニメーション作品:『機動戦士ガンダム』(1979-80)、『機動戦士Ζガンダム』(1985-1986)、『機動戦士ガンダムF91』(1991)
4章 アニメーターとして、漫画家として
『機動戦士ガンダム』もその一翼を担った1980年代のアニメーションブームの中で、安彦良和はアニメーションの監督、小説の挿絵、漫画執筆と次々に新たな挑戦を始めます。本章では、そうした安彦良和の多彩な活躍を概観します。
本章で取り上げる主なアニメーション作品等:『クラッシャージョウ』(小説挿絵:1977-、劇場用アニメ:1983)、『巨神ゴーグ』(1984)、『アリオン』(漫画:1979-1984、劇場用アニメ:1986)、『ヴイナス戦記』(漫画:1986-1990、劇場用アニメ:1989)
『機動戦士ガンダム』もその一翼を担った1980年代のアニメーションブームの中で、安彦良和はアニメーションの監督、小説の挿絵、漫画執筆と次々に新たな挑戦を始めます。本章では、そうした安彦良和の多彩な活躍を概観します。
本章で取り上げる主なアニメーション作品等:『クラッシャージョウ』(小説挿絵:1977-、劇場用アニメ:1983)、『巨神ゴーグ』(1984)、『アリオン』(漫画:1979-1984、劇場用アニメ:1986)、『ヴイナス戦記』(漫画:1986-1990、劇場用アニメ:1989)
5章 歴史を描く
漫画に専念するようになった安彦良和は、古事記などの神話を再解釈して古代日本をダイナミックに描いた「ナムジ」を皮切りに、歴史漫画家として活躍を始めます。日本の古代史と近代史を両輪に、歴史の渦に翻弄されながら懸命に生きる「小さき者」たちの躍動をとらえた作品群は、現代の私たちに多くの示唆を与えてくれます。一方で西洋にも目を向け、キリスト教へのアプローチを試みた作品も発表しました。
本章でとりあげる主な漫画作品:「ナムジ」(1989-1991)、「ヤマトタケル」(2012-2018)、「ジャンヌ」(1995-1996)、「イエス」(1997)、「虹色のトロツキー」(1990-1996)、「王道の狗」(1998-2000)、「天の血脈」(2012-2016)
漫画に専念するようになった安彦良和は、古事記などの神話を再解釈して古代日本をダイナミックに描いた「ナムジ」を皮切りに、歴史漫画家として活躍を始めます。日本の古代史と近代史を両輪に、歴史の渦に翻弄されながら懸命に生きる「小さき者」たちの躍動をとらえた作品群は、現代の私たちに多くの示唆を与えてくれます。一方で西洋にも目を向け、キリスト教へのアプローチを試みた作品も発表しました。
本章でとりあげる主な漫画作品:「ナムジ」(1989-1991)、「ヤマトタケル」(2012-2018)、「ジャンヌ」(1995-1996)、「イエス」(1997)、「虹色のトロツキー」(1990-1996)、「王道の狗」(1998-2000)、「天の血脈」(2012-2016)
6章 安彦良和の現在(いま)
漫画家として活躍を続けていた安彦良和ですが、『機動戦士ガンダムTHE ORIGIN』のOVA以降、アニメーションに再び携わるようになります。本章では安彦良和が監督を務めた最新のアニメ作品とともに、今なお揺れ動く世界に対する思いの込められた連載中の漫画作品をご紹介します。
・『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』(漫画:2001-2011、アニメ:2015-2018)
・『機動戦士ガンダムククルス・ドアンの島』(2022)
・「乾と巽-ザバイカル戦記-」(2018-2024)
漫画家として活躍を続けていた安彦良和ですが、『機動戦士ガンダムTHE ORIGIN』のOVA以降、アニメーションに再び携わるようになります。本章では安彦良和が監督を務めた最新のアニメ作品とともに、今なお揺れ動く世界に対する思いの込められた連載中の漫画作品をご紹介します。
・『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』(漫画:2001-2011、アニメ:2015-2018)
・『機動戦士ガンダムククルス・ドアンの島』(2022)
・「乾と巽-ザバイカル戦記-」(2018-2024)
©創通・サンライズ ©高千穂&スタジオぬえ・サンライズ ©サンライズ ©安彦良和・THMS ©学研・松竹・バンダイ ©安彦良和/KADOKAWA ©東北新社/著作総監修 西﨑彰司 ©安彦良和 ©安彦良和/潮出版社 ©安彦良和/講談社
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